(18)井上 馨邸・浄見長者屋敷跡
井上馨邸・浄見長者屋敷跡
維新の元勲侯爵井上馨は、明治29年横砂の浄見長者の屋敷跡に別荘を造った。
侯爵は王政復古に挺身し、維新後、大蔵大臣、内務大臣などを歴任し、当時の重臣として権勢並ぶ者がなく、その別荘は豪華を極め、約6アールのミカン園が付属し、日本最初のコンクリート倉庫、鹿鳴館時代の西洋問・両国橋の橋脚を床柱にした応接間など貴重な文化財が数多くあったが、昭和20年(1945)の空襲のため惜しいことに灰燼に帰してしまった。
現在、屋敷跡地の殆どは住宅地となり、残る、約1500坪に庭園の一部と空手道場や居宅がその跡を留めている。
波多打川の西岸、米糠山付近一帯を長者屋敷と称し、平安時代から栄華を極めた浄見長者(横砂長者)が住んでいた。藤原道長の時代、長和3年(1014)の頃、浄見寺(後の清見寺)を造り梵鐘を奉納した。米糠山は、長者が捨てた米糠が山になった物だといわれ、その栄華を偲ぶ語り草となっている。その後永禄年間まで繁栄を続けたらしいが、永禄11年(1568)武田信玄侵入の時、兵火に遭って滅亡したらしく以後の消息は記録の上から消え去った。

コメント
長者さまとか捨てた米糠が山になったとか日本昔ばなしみたいですね。
井上公爵を訪れる人が多いので臨時の駅があったとききましたが、どのあたりだったのでしょうか?
小梅 | 2008年07月04日
>臨時の駅
それは袖師駅のことでしょうか。袖師海水浴場があった頃、夏場だけ停車する駅が横砂にありました。海水浴客のための駅です。
「(14)東海道線袖師駅跡」で紹介されています。
今は、その面影もありません。
磯波 | 2008年07月06日