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      <title>清水ふるさと塾</title>
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         <title>第9回ふるさと塾ガイドウォーク報告（1）</title>
         <description><![CDATA[<img alt="第9回ふるさと塾ガイドウォーク報告" src="http://s-furusato.net/archive/2010/03/08/9th-walking013.jpg" width="520" height="390" /><blockquote>美濃輪稲荷入口にて。「高砂の松」と松井新田への水路跡を探索します。</blockquote>

3月7日の第9回ふるさと塾ガイドウォークは冷たい雨が降るあいにくの天候でしたが、高校生から80代まで幅広い世代の15名が参加し予定通り開催しました。

スタッフの説明を聞きながら、2時間半のガイドウォークは、参加者のみなさんの熱意に支えられて、楽しい「まちあるき」になりました。詳しい報告は改めて掲載します。（つづく）

<img alt="第9回ふるさと塾ガイドウォーク報告" src="http://s-furusato.net/archive/2010/03/08/9th-walking010.jpg" width="520" height="319" /><blockquote>11時30分、港橋の清水市民活動センターでまとめの会を持ちました。ふるさと塾の担当者から、今回のテーマについて補足説明の後、参加者全員に感想を話して頂きました。</blockquote>]]></description>
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         <pubDate>Mon, 08 Mar 2010 10:19:58 +0900</pubDate>
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         <title>第9回ふるさと塾ガイドウォーク案内（7）</title>
         <description><![CDATA[<img alt="第9回清水ふるさと塾ガイドウォーク" src="http://s-furusato.net/archive/2010/02/10/9th-walking000.jpg" width="520" height="200" />

3月7日は雨天が予想されますが、ガイドウォークは予定通り開催します。

<strong>●駐車場のご案内</strong>

集合場所のドリプラ大観覧車横の「あっ朝市」には利用者用の駐車場が用意されますが、これは9時20分には閉鎖されます。そこで、ガイドウォーク参加のみなさんは、エスパルス通り（港町商店街）の有料駐車場をご利用下さい。

<img alt="第9回清水ふるさと塾ガイドウォーク" src="http://s-furusato.net/archive/2010/03/06/9th-walking000c.jpg" width="390" height="548" class="center" />
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         <pubDate>Sat, 06 Mar 2010 11:32:08 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>第9回ふるさと塾ガイドウォーク案内（6）</title>
         <description><![CDATA[<img alt="第9回清水ふるさと塾ガイドウォーク" src="http://s-furusato.net/archive/2010/02/10/9th-walking000.jpg" width="520" height="200" />

3月7日（日）に実施する第9回ふるさと塾ガイドウォークのコース案内です。天気予報では、7日にも傘マークが出ていますが、予定通り実施するつもりです。雨のまち歩き、その風情を楽しみたいと思います。

ドリプラ大観覧車横駐車場「あっ朝市」に9時集合で、コース案内図の番号順に回ります。地図に番号を記した地点は解説ポイントです。最後に港橋の清水市民活動センターで、まとめの会を開きます。解散は11時30分頃を予定していますが話の成り行きで、もう少し延びるかもしれません。

車でお越しの方は、港町商店街（エスパルス通り）にあるコイン駐車場をご利用下さい。ドリプラ内の「あっ朝市」利用者用駐車場は9時20分以降は利用できなくなりますので、ご注意下さい。

<img alt="播磨屋作右衛門レポート" src="http://s-furusato.net/archive/2010/03/02/9th-walking009.jpg" width="520" height="750" /><blockquote>(1)集合場所（ドリプラ大観覧車横駐車場「あっ朝市」）
(2)旧清水湊と廻船問屋
(3)旧清水湊の海岸線と護岸石
(4)美濃輪の南端と松井新田
(5)幕府米蔵への搬入通路と荷揚げ場
(6)御蔵（松ヶ崎）稲荷と萬霊碑　
(7)幕府米蔵（御蔵）跡地
(8)増川仙右衛門の溝（松井新田の水路跡）
(9)美濃輪稲荷（高砂の松）～江川（暗渠）
(10)専念寺（播磨屋作右衛門墓）
(11)本町通り・袋町（播磨屋作右衛門屋敷跡）
(12)まとめの会（清水市民活動センター）</blockquote>
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         <link>http://s-furusato.net/archive/2010/03/post_79.html</link>
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         <pubDate>Tue, 02 Mar 2010 23:01:40 +0900</pubDate>
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         <title>第9回ふるさと塾ガイドウォーク案内（5）</title>
         <description><![CDATA[<img alt="播磨屋作右衛門レポート" src="http://s-furusato.net/9th-walking000a.jpg" width="520" height="160" />

<strong>●次代の播磨屋作右衛門を探る</strong>

　歴史上次に作右衛門の名が登場するのは、古文資料で寛延4年（1751）正月｢御ばん所様より御尋につき書上｣（八木家史料）の中の清水湊諸問屋の業種と廻船所有状況においてである。
　これは清水町が駿府町奉行所支配になった時の報告書であるが、当時の清水湊の諸問屋は41軒、そのうち廻船の持ち主は計9軒。廻船の合計は小廻船2艘、主に年貢米を江戸浅草の幕府米蔵へ輸送する大廻船が13艘であった。こうした中で｢袋町　作右衛門　大廻船四隻を所有｣と、播磨屋作右衛門が群を抜く持船数が記録されている。

　さらに当時の廻船問屋播磨屋作右衛門の勢力を物語る事件がある。

　宝暦13年（1763）　財政逼迫にあえぐ小島藩は、江戸へ回漕した年貢米が足り無いとクレームをつけて運賃、倉敷料を廻送した播磨屋作右衛門に支払わなかったため、作右衛門は向後一切小島藩の年貢米を運搬しないと宣言し、清水湊の問屋仲間もこれを支持した。

　一万石とはいえ譜代の代名を相手制裁態度に出るほどの力を持ち、播磨屋作右衛門が清水問屋衆のリーダー的存在であったことがうかがえる。

　この事件後まもない明和年間（1764～1771）に作右衛門は松井新田を開拓し、新田完成時の天明2年（1782）　には萬霊碑を建てている。

これらは年代が近いことから、五代目作右衛門宗雲（篤重）を継いだ六代目であると考えてほぼ間違いないだろう。

　そしてもし播磨屋作右衛門家代々の当主を尊ぶ立派な墓標を建てたのがやはり明和二年で、この六代目作右衛門であったならば、この時代が商家として正に絶頂期を迎えていたと言えよう。
　
<strong>●商人重視の田沼時代</strong>

　こうした播磨屋作右衛門が持つ財力の背景の一つには、幕府の重商政策との関系が考えられる。六代目の作右衛門が活躍した明和年間から天明の初めは、幕閣において老中の田沼意次が幕政を主導していた時代と重なる。折からの幕府の庇護に加え、町・商人との結びつきを重視した財政政策により専売特権はより強まったと考えられる。また田沼幕政は、殖産興業として町・商人資本の出資による印旛沼・手賀沼開拓等の農地開発にも積極的だった。作右衛門の松井新田も規模こそ小さいが、その一例ではないかと思う。

　田沼幕政は、町・商人とから税金や権利使用料などを効率よく徴収することで幕府の財政を立て直し景気を向上させた。しかしこうした安易な資本主義的やり取りは金銭中心の社会を増長させ、そのために事実として贈収賄が横行したと言われている。　また、都市部で町人文化が発展する一方、益の薄い農民は困窮するといった格差を生み出す結果となり、そこへ浅間山の大噴火などの災害の勃発、天明の飢饉と呼ばれる食糧難が相次いでおこったため、農民の都市部への不満はついに最高潮となり、一揆・打ちこわしが激化。田沼政治への批判は次第に高まっていった。

<strong>●天明の大飢饉と清水湊</strong>

　この、天明4辰年（1784）から天明8申年（1788）の飢饉は、疫病の流行をともない全国を通して最終的な死者数は30万人とも50万人とも推定されている。
　清水において、この時の状況を明確に伝えるものは残念ながら無いが、「清水町沿革誌」547頁によれば、田畑が無く、魚の漁以外全くと言って良いほど生産性が無い清水の町は、湊から入ってくる物資が頼りの生活をしてきたため町民の生活はひどく困窮したことを伝えている。
　食料灘に加え、品不足により米価が高騰するという危機的状況において、名主、年寄、町頭らが相談し、有力者の出資で近くの農村より米穀を買い出し、あるいは融通し合い、各町内に一軒ずつ小売場を設け、当時1升250文の相場のところを1升150文に定め、町民助成の為に安売りをして対応をしている。
　そんな最中、その買入れ米をめぐり、作右衛門に関する以外な事件が起きたことを示す直訴文が同沿革誌に記されているのでここに掲載する。

＊）清水町の有力者が連名で御役所に直訴した「乍恐（おそれながら｣で始まる古文で、二部構成による重ね重ねの嘆願文になっているが、なるべく原内容に近い意訳を試みた。
<h5>乍恐以書付奉願上候
（おそれながら書き付けをもって願いあげたてまつりそうろう)

一つ,　おととし〔天明7年（1787）〕米が高値で、平民たちが生活できず、援助のために近くの村より米を仕入れ、安売りをしたのであります。
　その節、播磨屋作右衛門からも米50俵を買い受けたところ、その50俵とは、清水御蔵米のことで、作右衛門の下代の弥兵衛が取り出した米とのこと。先だって江戸表の御奉行様がお調べの上、仰せ聞かされて知って驚きまして恐縮にございます。
　弥兵衛が取り出した米とは存じなかったですが、よく吟味せず買い取ったことは過失であり、元の代金の通り56両2分銭400文を当御役所様へ肩代り上納するよう承知せよと命じられお受けいたしました。
　私どもは村に帰りその件を（御役所に）お届け申し上げたところ、その肩代り金を早速上納するよう、なおまた厳しく言い渡されたのでございますので、何とかして上納の準備をと平民ども一同相談におよびしましが、困窮の清水町民ゆえ、急に上納できず恐縮でございます。
　ところがやっと金貨12両を調達いたしましたのでこの度上納いたします。よってその残りの44両2分銭400文のことは御慈悲をもって来る3月晦日まで日のべ下さりますよう、平民一同おそれながらお願い申しあげます。

一つ,　清水町のことです。
　田畑は無く、港の稼ぎで暮しを立ててきました。
ところが近年、米穀はもちろんのこと諸色が相次ぐ高値になり、そのうえ諸国より出廻ってくる諸荷物等が少なく、不漁で漁船も持ち続ぎられず方々で生活灘に至りました。
　町は絶えず引き続き衰え、平民一同困窮に達したと申しましたが、なおまた去年は諸国ひと続きに米が非常に不足し、何処も米を外に輸出しないとの噂があり、一切の米の収穫も無く、かすかな米に値段は世見の常識を超えて高値となったため清水町小売の基準も一升につき、びた200文あまりより、おいおい引き上げ250文あまりの売買の状態になり、平民のものどもの生活灘も極限に至ったことにより、町の有力者が集って話し合った結果、町内で相応に金銭のやりくりをして、うまく生活できるよう、者共を救えと金銭を用立ててもらうことを申し入れ、そのうえ私共も金銭を差し出し、集めたお金で近くの村より米を買出し、一町に一軒の割当てで小売場を設置して安売りいたしました。
　どこも米不足にて入荷等が無いのでありますので、近場で買出した米も激しく高値でありますが、たとえそうであっても、平民の者の生活のため、一升につき、びた150文に定め、未夏中より初秋まで売りつづけました。
　その追加金は、140両あまりにございます。この分、平民の助成にいたしましたのでございます。
　その節、作右衛門の方より、売り米が50俵あると言ってきたので、その時買受け、前に書きました通り一升に付き、びた150文で平民の者へ売り渡すと申し、そのようにしたのでございます。
　そうではございますが、この度仰せつけられた弁納金は平民の者共よりより取り立て、御上納したしますよりほかないのでございます。しかしこの様な困窮の者共には、さっぱり支払いのための金銭は無いうえ、御年貢の上納金に困りとどまる様子。
　町をお救い下されば非常に嬉しきことでありましてその弁納金44両2分銭400文を来たる3月晦日迄に日延べ下さりおくよう願い上げたてまつり、期日に至りましては間違えなく御上納いたします。
　この度のこと、お願い申し上げますも、恐れ多く存じたてまつりますが、困窮におよび暮らしに大変苦しんでおりますので、恐れいりながらお日延べ願い上げたてまつります。何卒お情けをもって願いの通り仰せ付けられ下さりおくよう願い上げたてまつります。
　右のおもむきをお聞き召されたく、御慈悲のおぼしめしを願い上げたてまつります。

　　以上

寛政元年酉十月
    清水町
      町頭  　　連　　名  
      年寄  　　清右衛門（山本屋清右衛門）
      　同    　 太郎右衛門（十一屋太郎右衛門）
      名主  　　善右衛門（中田屋善右衛門）

 平岡彦兵衛  様    
　御役所</h5>

　嘆願書の内容からは、作右衛門（の下代の弥兵衛）が米蔵より持ち出したことは既に奉行所の取調べでは分かっており、町頭たちははその肩代りの代金の支払いを求められ、作右衛門との関系を否定しつつ、町民の困窮の様と安売りの理由を繰り返し綴り、支払い延期の救済を訴えている、ということが解る。
　この嘆願の結果、清水町の残金日延の願いが認められたかどうかは不明だが、翌寛政2年9月に駿府町奉行は播磨屋作右衛門に対して欠所（けっしょ）という処分を申し渡している。

　欠所とは、死罪・遠島・追放などの重刑の付加刑として、田畑・家屋敷・家財の全てを幕府が没収するという極めて重い処分である。
果たして作右衛門は処刑されたのか？それもまた不明であるが、いずれにせよ隆盛を極めた播磨屋作右衛門はこの事件後、清水湊の問屋名簿から忽然と姿を消している。


<strong>●寛政の改革と作右衛門の悲運</strong>

　そもそも御蔵米は幕府直轄の年貢米を貯蔵し米価安定を図る為のものであり、許可が下り無ければ放出されない仕組みとなっていた。そのため米不足で困窮する非常事態であっても清水町の町頭 たちは近在より米を買い付けるよりほかに無かったのである。その決まりを破って持ち出したということは、それだけ作右衛門が強い力を持ち、当時の幕政との間に信頼関系があったということかもしれない。しかし、その田沼幕政が失脚し松平定信へと政権が交代してしまったことで状境は一変する。寛政の改革が始まり、緊縮財政にくわえ重商主義を撤廃し代名や旗本を保護する政策となったのだ。

　作右衛門の行為が、たとえ平民救済の善為であったとしても、新幕政のもとでは自己判断で持ち出したことを厳しく咎めたのであろう。それにしても欠所という処分はかなり強引で厳しい。作右衛門の場合、小島藩との一件も関系していたかもしれないが、重商政策の追い風をうけ力を付け過ぎた商人を抑えこもうとする何らかの意図が幕府側にあったのではないだろうか。
　清水湊でリーダー格の廻船問屋への仕打ちが、見せしめとして同町の問屋衆に与えた効果は歴然であり、嘆願書にも作右衛門をかばうどころか護身に精一杯であることが表れている。
<blockquote>※これ以降の清水湊の情勢においても、天保五年（1834）には摂津国屋甚右衛門の塩の取り扱い不埒の嫌疑で、同町の問屋衆は摂津国屋に対し塩の取引の停止を要求し問屋仲間から追放する等、不正に対する自主的な規制態度を示している。それでも幕府の特権商人への抑えこみは厳しく、天保十三年（1834）の水野忠邦の時代には、元和以来続いてきた清水湊の廻船問屋の特権を停止させた（水野の改革が失敗し10年後には復活した）。</blockquote>

　政権交代などの時代の変革が、皮肉にも浮く者沈む者を逆転させてしまうことは、今にちにおいても同様に繰り返されているが、播磨屋作右衛門もまた、商人として絶頂期にあった時、突然おきた時代の変革のうねりにのみこまれ消滅するという悲運な幕切れだったと言えよう。

　江戸の初期から代々続いた名門廻船問屋もついにその墓石に六代目の名が彫られることは無かったのである。（完）
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         <link>http://s-furusato.net/archive/2010/03/95.html</link>
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         <pubDate>Tue, 02 Mar 2010 15:15:27 +0900</pubDate>
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         <title>第9回ふるさと塾ガイドウォーク案内（4）</title>
         <description><![CDATA[<img alt="播磨屋作右衛門レポート" src="http://s-furusato.net/9th-walking000a.jpg" width="520" height="160" />

<strong>●播磨屋作右衛門とは</strong>

　「播磨屋作右衛門（はりまやさくえもん）」は江戸時代初期に誕生した清水湊の廻船問屋の屋号である創始者は山本作右衛門高吉。播磨国（はりまのくに）出身ゆえ屋号を「播磨屋」以降、当主は代々「作右衛門」を世襲した。播磨国は現在の兵庫県南西部。

　後に、「播磨屋清三郎」、「播磨屋清助」、「播磨屋市兵衛」、「播磨屋三四郎」、そして鈴与の前身の「播磨屋与平」など、数多くの「播磨屋」を輩出した、文字通り「播磨屋を作った男」である。

　さて松井新田と萬霊碑完成時の播磨屋作右衛門が何代目であったかは後に触れることとして、その初代作右衛門からの軌跡をたどってみよう。

　菩提寺は上一丁目の堀江山専念寺。初代の播磨屋作右衛門は、この専念寺の創立に大きく関わる人物である。天保時代のものとされる「由緒書｣には、信長と一向宗との間でおきた石山合戦（1570～1580）にて浄土真宗の信徒として本願寺側に篭城し最後まで抵抗した山本河内守という播磨国出身の武士がおり、その者は信長勢との壮絶な戦に敗れたのち浪人となり、戦友である田中唯介（廻船問屋津之国屋甚右衛門を興す）とともに駿州袖師ヶ浦にやって来て居を構えた。

そして、後年（慶長五年）二人は、本願寺第十二代教如上人が会津遠征中の家康を訪ね東国に下る途中、袖師ヶ浦で久々の再会を果たすこととなる。その奇縁に　山本河内守は、教如上人に随行する専念寺三代住職祐信を通じて、石山合戦で一度大阪で焼失した専念寺を清水で再興することを願い出てそれを許された、との内容が書かれている。

<img alt="播磨屋作右衛門" src="http://s-furusato.net/archive/2010/03/02/9th-walking007.jpg" width="520" height="328" />

墓石に刻まれている、代々の作右衛門の名を解読する。
<h5>宗達氏山本、名作右衛門高吉、播磨之人、慶長年中遊宇駿州、ト居清水、歩下二娶生五子、正保二年閏五月八日、六十四歳卒</h5>
　碑文によると初代の播磨屋作右衛門は、号（または法名）は宗達、姓を山本、名は高吉、播磨国の生れ。慶長年間に駿州にやって来て、浜清水に赴きそこにとどまる。ほか二人を娶とり5人の子供をもうけた。正保二年（1645）閏五月八日、六十四歳で没した、とある。
　＊逆算すると初代播磨屋作右衛門こと山本高吉は、天正十年生れ。

　二代作右衛門は宗達（高吉）の五男、宗悦（吉勝）で二男一女をもうけ、享保十八年（1733）癸丑春二月二十七日没、享年八十九歳。（正保元年（1644）生れ。宗達（高吉）が亡る一年前、63歳の時の子。）

　三代作右衛門は宗悦（吉勝）の長男、宗貞（勝方）で一女をもうけ、享保二十年（1735）乙卯冬十一月十一日没、享年五十六歳。（延宝八年（1679）生れ。宗悦（吉勝）が35歳の時の子。）

　三代目に男子が無く、四代作右衛門は宗達（高吉）の曽孫、宗因（久慶）が継ぐ。延享元年（1744）甲子秋九月二十日江尻にて没、享年二十八歳。

　四代目が若くして急逝したため、五代作右衛門はやはり宗達（高吉）の曽孫で久慶の弟、宗雲（篤重）が継ぐ。延享三年（1746）丙寅秋七月二十二日没、享年二十三歳。

　墓石に刻まれた名は上記5人の作右衛門まで。六代目作右衛門の名が彫られてい無いということは、次代で家系が絶えてしまったと考えるのが妥当であろうか。
　建立者については、はっきりとした記載が無いが、墓石の腰を覆うように彫られた経題に注目すると、その中に｢明和二年乙酉四月｣という文字を確認した。これにより建立は明和二年以降の誰かの手によるものということは間違いなさそうだ。
<blockquote>※この部分は拓本を取る等の詳しい調査が必要である。</blockquote>

　家系が絶えた理由について謎の部分は多いが、関系史料や口碑を頼りに六代作右衛門の時代と名門廻船問屋の盛衰を追ってみようと思う。（つづく）]]></description>
         <link>http://s-furusato.net/archive/2010/03/post_78.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">ウォーキング</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 02 Mar 2010 14:40:41 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>第9回ふるさと塾ガイドウォーク案内（3）</title>
         <description><![CDATA[<img alt="播磨屋作右衛門レポート" src="http://s-furusato.net/9th-walking000a.jpg" width="520" height="160" />

<strong>●清水御米蔵</strong>

　享保18年（1773）米将軍とよばれた徳川吉宗の時代、御代官山田治右衛門を奉行として、清水町美濃輪の南端、1620坪余の敷地に高さ1丈2尺、横15間、縦3間の梁で区切った蔵が6棟が建ち並び、計18戸の蔵に年間約14万8千石の米を詰替えた。

　主に清水、江尻、駿府付近の幕府直轄領から集まる年貢米を収容し、駿府町奉行が価格相場をうかがいながら、価格を安定させるために放出するなど米相場をコントロールしていた。また年行事として古米を付近の町の払い下げ、売却金は江戸の金蔵に送金した。設置当初は兵糧米を目的としたが、天明の飢饉を経て寛政の頃になると凶作に備える囲い米となった。

　江戸幕府が倒れ明治の時代になると、米蔵はその役目を終え、跡地には清水小学校が建った。大正12年の頃、現在の松井町公園の20mほど下手に、三保塚間との間を渡す市営渡船の船着場が出来た。そこはかつて幕府の御米蔵へと米俵を運ぶための荷揚げ場であり、足場とする四間幅の頑丈な石段が近年まであったという。今でも満潮時になるとそこに水が溢れ出すのは、そうした昔のなごりであろう。その荷揚げ場を搬入通路として、現在の清水小学校校内の児童菜園からジャンボ滑り台があった辺りに米蔵が6棟並んでいたと思われる。
<img alt="まちの思い出" src="http://s-furusato.net/archive/2010/03/03/9th-walking008c.jpg" width="390" height="563" class="center" /><blockquote>清水市発行の「まちの思い出」に収録されている「松井町の渡船場」。大正の終わり頃まで、幕府米蔵へ荷揚げするための石段が残っていたことが判る。<a href="http://s-furusato.net/archive/2010/03/03/9th-walking008a.html" onclick="window.open('http://s-furusato.net/archive/2010/03/03/9th-walking008a.html','popup','width=520,height=390,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false">現在は護岸堤防があるだけで名残らしきものはない。</a></blockquote>

<strong>●御蔵稲荷</strong>

　松徳館敷地内にある稲荷神社はもともと御米蔵内にあり、当時流行りの疱瘡の封じに霊験灼かなものとして参拝者も多かったが、天明の飢饉直前（天明6年（1786））、平民が米蔵へ出入りすることを禁じ作右衛門の萬霊碑のある敷地に移した。後に松ヶ崎稲荷と命名され、昭和の戦前に美濃輪稲荷神社に移され合祀されている。

　なお松井町の名にある「松｣らしきものは松徳館にも松井町内にも無い。社が遷座された時に松も移植されているならば美濃輪稲荷神社本殿左側奥の松は、作右衛門が舞子浜より移植した「高砂の松」である可能性もある。

　幕府御米蔵は、清水小学校が本町より移転する前の明治35年ぐらいまで建物の形を残していたといわれている。

<img alt="9th-walking004c.jpg" src="http://s-furusato.net/9th-walking004c.jpg" width="520" height="368" /><blockquote>現在の地図上に明治22年の地図を基に重ね合わせ、御米蔵と松ヶ崎稲荷、そして松井新田のおおよその位置を想定してみた。</blockquote>

<img alt="清水小学校" src="http://s-furusato.net/9th-walking006.jpg" width="520" height="390" /><blockquote>現在の清水小学校。明治35年（1902）頃まで米蔵の建物が残っていたという。</blockquote>（つづく）
]]></description>
         <link>http://s-furusato.net/archive/2010/02/post_77.html</link>
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         <pubDate>Sun, 21 Feb 2010 19:34:50 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>第9回ふるさと塾ガイドウォーク案内（2）</title>
         <description><![CDATA[<img alt="播磨屋作右衛門レポート" src="http://s-furusato.net/9th-walking000a.jpg" width="520" height="160" />

<strong>●松井町の名の由来となった松井新田</strong>

　江戸時代、現在の清水小学校のところに幕府の御米蔵があり、明和年間（1764～1771）に清水の廻船問屋「播磨屋作右衛門」が、幕府の許可を得て美濃輪町の南端からこの御米蔵の東側に至る海岸部に石垣を築き、干潟を開拓して佃とした。石垣の上には播磨国舞子浜より運びよせた高砂の松を植樹し浪除けに耕地を囲ったことから、この開拓地を松井新田と名付けたと伝えられている。現在の松井町の名は、この松井新田からくるもので、明治21年に安部郡清水町へと併合した際に出来た町名である。

<img alt="萬霊碑" src="http://s-furusato.net/9th-walking002b.jpg" width="520" height="693" />

　清水小学校の東側に清水区松井町の自治会館である松徳館がある。この敷地内にある「萬霊碑」は、天明２年に松井新田が完成した際に開拓者の作右衛門が建てた記念碑である。そこは古来この地域の墓地であり、開拓中に多くの人骨を出土したため僧侶をよび慰霊をしたという様子がその碑文に刻まれている。
　
　播磨屋作右衛門は代々世襲の廻船問屋で、その歴史は清水湊の廻船問屋の成立期からとされ、後に多くの『播磨屋』を輩出する名門廻船問屋である。

　江戸初期から中期、廻船問屋衆のリーダー格として清水湊の繁栄を牽引した播磨屋作右衛門であるが、ある事件を期に清水湊の問屋衆の名簿から忽然と姿を消している。松井新田、そして播磨屋作右衛門にまつわる出来事や足跡を辿り、そのミステリーに迫ってみたい。


<strong>●松井新田の範囲</strong>
　　　
<img alt="東海道分間延絵図" src="http://s-furusato.net/9th-walking003.jpg" width="520" height="260" />

　上図は、寛政年間（1789～1801）に幕府が作成した｢東海道分間延絵図｣に画かれた約200年前の清水港および巴川の河口付近である。街道と宿場はかなり誇張されているが、上町から美濃輪に至る町並みは写実的で精細に画かれている。

　松井新田が開発された明和年間の約20年後に作成された絵図であり、当時の姿がそのまま描かれている。美濃輪の南側には常念川や幕府の御米蔵もしっかり確認できる。

<img alt="9th-walking002.jpg" src="http://s-furusato.net/9th-walking002.jpg" width="520" height="388" />

　上図は、「駿州有度郡清水湊松井新田絵図面」（静岡市立清水中央図書館蔵）で、松井新田の範囲が示されている。絵図には作成された年の記載が無いが、御蔵稲荷社が米蔵の外に画かれていることから天明6年（1786）以降のものと推測される。なお、原図は白黒のコピーであったため、著者が着色し区分を解りやすくした。

　絵中に｢御蔵｣と書かれた6棟の建物が幕府の米蔵で、それを囲う水色で示した個所が開拓された水田である。右上の｢稲荷山｣が美濃輪稲荷神社。その下の太い道路が現在の美濃輪・次郎長通りで、当時の海岸線は、現在の美濃輪の｢中浜通り｣であり、作右衛門の開拓で護岸の石垣が常念川の河口部まで延長して施された。

　※美濃輪の｢浜通り｣はのちの安政大地震（1854年）で隆起した土地

　石垣の内に米蔵へ通行する道路があり、さらにその内側の水田との間に細い水路が画かれている。巴川の河口付近は海水ゆえ、水田の水は本町裏から八千代町辺りを流れていた｢江川｣から掘割して引いていたようである。明治初期作成の公図（清水法務局管理）にもその遺構が確認できた。

<img alt="松井町" src="http://s-furusato.net/9th-walking002c.jpg" width="520" height="390" />

（つづく）
]]></description>
         <link>http://s-furusato.net/archive/2010/02/post_76.html</link>
         <guid>http://s-furusato.net/archive/2010/02/post_76.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">ウォーキング</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 21 Feb 2010 04:55:44 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>第9回ふるさと塾ガイドウォーク案内（１）</title>
         <description><![CDATA[<img alt="第9回清水ふるさと塾ガイドウォーク" src="http://s-furusato.net/archive/2010/02/10/9th-walking000.jpg" width="520" height="200" />

　3月7日（第1日曜）に開催する「第9回清水ふるさと塾ガイドウォーク」は清水湊廻船問屋の祖「播磨屋」ブランドを作った播磨屋作右衛門（はりまや・さくえもん）の盛衰をたどります。

　清水の歴史を語る上で欠かすことのできない企業である鈴与の前身は廻船問屋の「播磨屋与平」です。「播磨屋」を名乗っていたのは鈴与だけでなく、廻船問屋の歴史を物語る名簿には、数多くの「播磨屋」が登場します。

　これらは「播磨屋作右衛門」から出た系列と云われています。「播磨屋作右衛門」は清水湊のリーダーとして繁栄を極めた名門廻船問屋ででしたが、動乱の幕末、揺れる江戸幕府に翻弄され、忽然と歴史の舞台から姿を消したのです。

　なぜ「播磨屋作右衛門」は消えたのか？　江戸幕府（中央）と「播磨屋」（地方）との確執から消されたのか？　ふるさと塾のガイドスタッフが、「歴史の謎」を判りやすく説明します。

　今回のガイドウォークも、ドリプラ大観覧車横の「あっ朝市」が集合場所です。ドリプラから港橋、松井町、美濃輪稲荷、上町の専念寺、本町と「播磨屋作右衛門」縁の地を歩き、盛衰の謎に迫ります。

<blockquote>●第9回清水ふるさと塾ガイドウォーク<br/>
<strong>清水湊から消えた「播磨屋作右衛門」の謎に迫る</strong>

<strong>3月7日(日）朝9時～11時30分</strong>
ドリプラ大観覧車横の「あっ朝市」櫻珈琲青テント集合
参加費(保険代）1人200円（中学生以下は、ふるさと塾が負担します)
最後のまとめを清水市民活動センター（港橋）で行い11:30解散予定</blockquote>

<img alt="第9回清水ふるさと塾ガイドウォーク" src="http://s-furusato.net/archive/2010/02/10/9th-walking001.jpg" width="520" height="345" />

（つづく）]]></description>
         <link>http://s-furusato.net/archive/2010/02/9.html</link>
         <guid>http://s-furusato.net/archive/2010/02/9.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">ウォーキング</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 10 Feb 2010 16:19:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>明けましておめでとうございます</title>
         <description><![CDATA[<img alt="明けましておめでとうございます" src="http://s-furusato.net/archive/2010/01/02/2010-01-01a.jpg" width="390" height="590" class="center" />
]]></description>
         <link>http://s-furusato.net/archive/2010/01/post_75.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">お知らせ</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 01 Jan 2010 10:13:02 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>もちつき大会を楽しみました</title>
         <description><![CDATA[<img alt="もちつき大会を楽しみました" src="http://s-furusato.net/archive/2009/12/26/091220f.jpg" width="520" height="390" />

第7回みなと夢市のもちつき大会を、清水ふるさと塾が担当しました。前任のグループから引き継いで3年目です。今年の、もちつきスタッフは16名。小学生から50代まで様々な世代が集合して、一段と賑やかな、もちつきになりました。

<img alt="第7回みなと夢市のもちつき大会g" src="http://s-furusato.net/archive/2009/12/26/2009-12-25a.jpg" width="520" height="279" />
今年の記憶が消えない前に、来年の実施計画を書き留めておきます。用意するもち米は9升（13.5kg）、蒸籠三段に1.5升づつ入れて蒸します。蒸し時間は、気温にも左右されますので、少し長めの45～60分を予定します。一番下の段から、突きはじめ、一番上に、新しい米を載せていきます。
<img alt="第7回みなと夢市のもちつき大会" src="http://s-furusato.net/archive/2009/12/26/2009-12-25b.jpg" width="520" height="173" />
前日に研いだ、もち米は4.5升づつ、ポリバケツに分けて持参します。これを三等分して、蒸籠にセットします。杵は二本ありますので、こづきは二人でやります。突くのは一人です。大方突き上がったら、子ども達にも杵を持ってもらいます。

<strong>▼来年のもちつき大会（計画）</strong>

<img alt="091221a.jpg" src="http://s-furusato.net/archive/091221a.jpg" width="390" height="680" align="right"/>9:00　もち・つき班集合
※最初に蒸し器をセットして点火
10:00　もち・ちぎり班集合<br><br>
9:30　蒸し始め（餅米1.5升×3）
※一番下の蒸籠からつきはじめる
10:40　もちつき
10:50～　1回目の販売<br><br>
11:50　販売終了
12:00　片付け完了
]]></description>
         <link>http://s-furusato.net/archive/2009/12/post_74.html</link>
         <guid>http://s-furusato.net/archive/2009/12/post_74.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">みなと夢市</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 21 Dec 2009 05:51:28 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>みなと夢市　もちつき大会</title>
         <description><![CDATA[<img alt="第7回みなと夢市" src="http://iso-ya.com/today/2009/091220tirasi1.jpg" width="520" height="739" />

12月20日、エスパルス通り（港町商店街）で開かれる「第7回みなと夢市」の、もちつき大会を清水ふるさと塾が担当するようになって、今年で3年目になります。昨年は雨中のもちつきになりましたが、今年は晴天になりそうです。

<img alt="第7回みなと夢市" src="http://iso-ya.com/today/2009/081214motituki-a.jpg"  />

今年の「もちつき大会」の予定です。つきたて餅は三回に分けて販売します。子どもたちにも杵を持ってもらい、もちつき体験をしてもらいます。慌ただしい季節ですが「みなと夢市」を楽しんで下さい。

<strong>▼もちつき大会の予定</strong>

9:00　もちつき班集合
　　　最初に蒸し器をセットして点火
9:30　もち・ちぎり班集合
-----------------------
9:30　蒸し始め（餅米1升×3）
10:10　もちつき
10:30～　1回目の販売
-----------------------
10:10　蒸し始め（餅米1升×3）
10:40　もちつき
11:00～　2回目の販売
-----------------------
10:40　蒸し始め（餅米1升×3）
11:10　もちつき
11:30～　3回目の販売
-----------------------
11:45　販売終了
12:00　片付け完了

<blockquote><img alt="pdf.gif" src="http://iso-ya.com/images/pdf.gif" width="34" height="34" hspace="5" vspace="0" align="absmiddle" /><a href="http://iso-ya.com/today/2009/12/7th-minatoyumeichi.pdf">●第7回みなと夢市チラシ (PDFファイル・1.8MB)≫</a></blockquote>
]]></description>
         <link>http://s-furusato.net/archive/2009/12/post_73.html</link>
         <guid>http://s-furusato.net/archive/2009/12/post_73.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">みなと夢市</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 19 Dec 2009 08:52:07 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>12月20日みなと夢市で「もちつき大会」</title>
         <description><![CDATA[<img alt="みなと夢市「もちつき大会」" src="http://iso-ya.com/today/2008/081214moti6.jpg" width="520" height="390" /><blockquote><a href="http://iso-ya.com/today/2008/12/post_613.html">▲雨のなかで実施した昨年のもちつき大会の様子は「きょうの清水」へ≫</a></blockquote>

12月20日(日)、港町商店街振興組合の主催で「第7回みなと夢市」が開かれます。会場は、エスパルス通りの歩道（港町商店街）で、各商店の名品や特産品、挽きたて珈琲の販売、ストリートパフォーマンス、タラバカニ、いくら、数の子など海産物が当たる抽選会など盛りだくさんの「夢市」です。

今年で7年目になる「みなと夢市」では、3年前から「もちつき大会」を清水ふるさと塾が担当しています。9時から会場設営をはじめ、9時30分から蒸らし始め、10時からもちつきを始める予定です。

「もちつき大会」では、つき上がったもちを、きな粉餅にして1皿100円で販売します。今年は、最後につくもちを「よもぎもち」にします。子どもさんにも参加してもらい、みんなで楽しくもちつきをしたいと思います。

<img alt="みなと夢市" src="http://s-furusato.net/archive/2009/12/08/091220motituki-b.jpg" width="486" height="90" />

そこで読者のみなさんに、お願いがあります。つき上がったもちを小さくまるめ、きな粉餅にする作業と、その販売のお手伝いをお願いしたいのです。初心者大歓迎（というか、みんな素人）です。

つき手と、返し手は清水ふるさと塾の精鋭（？）が担当します。もちろん、もちつき体験も出来ます。子どもさんの参加も大歓迎です。

もちつきは3回行う予定です。全部に参加できなくても構いません。事前にお手伝いの連絡を頂いた方には、お弁当を用意します。

年末の慌ただしい時ですが、昔ながらの「もちつき」を楽しみながら、ふるさと清水の話で盛り上がりたいと思います。当日の飛び込みでも構いませんので是非ともご参加下さい。

<img alt="みなと夢市" src="http://iso-ya.com/today/2007/minati-yume.gif" width="369" height="225" class="center"/><blockquote>もちつき大会の会場は、化粧品店とお茶屋さんの間にある駐車場です。当日は雨天でも開催します。<br/><br/>●主催：港町商店街振興組合●共催：末廣商友会●協力：船宿末廣・清水ふるさと塾・まちあそび研究所<br/><br/>●お問い合わせはコメントまたは、<a href="mailto:post@iso-ya.com">post@iso-ya.com</a>へお願いします。</a></blockquote>
]]></description>
         <link>http://s-furusato.net/archive/2009/12/post_72.html</link>
         <guid>http://s-furusato.net/archive/2009/12/post_72.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">みなと夢市</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 08 Dec 2009 15:59:46 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>伊能忠敬が測量した同じ道を歩いた（GPSデータ）</title>
         <description><![CDATA[<img alt="伊能忠敬が測量した同じ道を歩いた（GPSデータ）" src="http://s-furusato.net/archive/2009/11/24/8th-walking010e.jpg" width="520" height="650" />

ふるさと塾GPS記録班（<a href="http://ameblo.jp/ruin-rumines/">るいるみさん</a>）によるガイドウォークのGPSデータを、Google Earthで表示させたデータを紹介します。
<blockquote>GPSデータは簡易測定器を使用した、歩きながらの計測でしたので、誤差があることをご了承下さい。波止場バス停から新清水までは路線バスを利用しましたので、車内での計測ができず、図面上の軌跡は直線になっています。</blockquote>

Google Earthがインストールされているパソコンで、下記の圧縮ファイル（ZIP）をダウンロードして、GPS091115inou.kmlをクリックすると、歩いた軌跡と写真が表示されます。
<a href="http://s-furusato.net/archive/GPS091115inou.zip"><img alt="伊能忠敬が測量した同じ道を歩いた（GPSデータ）" src="http://s-furusato.net/archive/2009/11/24/8th-walking010d.jpg" width="390" height="79"  /></a><h5>Google EarthにGPSデータを表示させたファイル<br/><a href="http://s-furusato.net/archive/GPS091115inou.zip">▼圧縮ファイル（ZIP）ダウンロード(748KB)　≫</a><br/><br/>※Google Earthは無料で入手できます。その方法については、<a href="http://earth.google.co.jp/">こちらを</a>参照して下さい。</h5>


]]></description>
         <link>http://s-furusato.net/archive/2009/11/gps_1.html</link>
         <guid>http://s-furusato.net/archive/2009/11/gps_1.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">ウォーキング</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 24 Nov 2009 03:00:16 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>伊能忠敬が測量した同じ道を歩いた（下）</title>
         <description><![CDATA[<img alt="091115inou-14.jpg" src="http://s-furusato.net/archive/2009/11/18/091115inou-14.jpg" width="520" height="390" /><blockquote>伊能が「清水巴川尻」と記録した測量地点は、現在の常念川河口水門の辺りになる。羽衣橋の向こうに伊豆の山々が見える。天城山の角度と方位を測定した伊能の測量記録が残されている。</blockquote>

<img alt="091115inou-08.jpg" src="http://s-furusato.net/archive/2009/11/17/091115inou-08.jpg" width="390" height="390"  class="center" /><blockquote>松井町公園での測量体験。この後、常念川河口に移動して、富士山や天城山の方位測量を体験した。</blockquote>

本町から美濃輪へ進み、美濃輪と松井町の境目で「松井新田」について説明した後、伊能忠敬研究会の加藤さんの指導で「測量体験」を行いました。

松井町公園に測量機器を設置し、50メートル先の目標（梵天）の角度を測ります。自分の歩幅を測り、目標までの歩数で距離を調べます。目視での測定ですから、計測する人によって誤差は異なることを実感しました。正確な測量を行うため、同じ場所を何度も計測する必要があったと思われます。現代のような舗装された道路があるはずもなく、当時の苦労が偲ばれます。

<img alt="091115inou-09.jpg" src="http://s-furusato.net/archive/2009/11/17/091115inou-09.jpg" width="390" height="390"  class="center" /><blockquote>伊能の時代、この辺りが巴川の河口だった。対岸の倉庫の横に富士山が少しだけ見えている。</blockquote><img alt="091115inou-10.jpg" src="http://s-furusato.net/archive/2009/11/17/091115inou-10.jpg" width="390" height="390"  class="center" /><blockquote>お茶の差し入れがあった。朝9時にスタートして約2時間半。温かいお茶の気配りが嬉しかった。</blockquote>

伊能忠敬が作成した「下図」は測量結果を図面に記したものです。この「下図」を現代の地図に重ねてみると、精度の高さに驚きます。同じ時代に描かれた「東海道分間絵図」は誇張された部分が多くありますが、美濃輪と松井町の境など、細かな部分で伊能の測量結果と同じ描きかたをしています。実測と、聞き取りによる作図という違いはありますが、どちらも優れた地図であることを再認識しました。

伊能忠敬の測量は当時の最高水準だったことは言うまでもありません。測量では、その土地の有力者を案内役に、器具などの運搬役に地元の人たち動員していました。伊能の測量を体験することで、その土地での測量技術は向上したといいます。

それは、伊能の高度な技術を学び取る受け皿が地元にあったからです。江戸後期には農機具の改良や新田開発が進み、農業の生産性が上がってきました。為政者にとって税の徴収を確実に行うために、田畑の面積を正しく測量することは欠かせない技術でした。伊能の測量は、全国的な測量技術の向上という基礎の上に行われた大事業でした。

<img alt="091115inou-11.jpg" src="http://s-furusato.net/archive/2009/11/17/091115inou-11.jpg" width="520" height="520" /><blockquote>伊能が測量に使ったのと同じ型の「小方儀」。方角が数字ではなく干支で記されている。</blockquote>

伊能忠敬の測量記録を基に、当時と同じ道を歩いてみて、200年前と同じ道が残っていることに、改めて驚きました。道幅が広くなったりしていますが、下図で描かれた道が残っているのです。

なぜ、残っているのか。200年間の近代化のなかに、これらの道が取り残されたからだと推測します。明治に入り、清水湊は巴川両岸から、外海に面した波止場に移り、清水港となりました。現在、バス路線となっている幹線道路の多くは、昭和初期の都市計画道路です。志みづ道や久能街道は、港湾計画、都市計画から外れた場所にあり再開発の対象になっていません。それは、幸運だったと考えるべきでしょう。

まちづくりという言葉が、いろいろな場面で使われます。まちは自然に出来るものではなく、そこに暮らす人たちが創りだすものだという意味で理解しています。どんなまちを創るのか、それを知るためにも、まちの歴史を知る作業が欠かせないと思います。清水ふるさと塾のガイドウォークが、まちづくりの手助けになることを願っています。さて、次回はどこを歩きましょうか…。
]]></description>
         <link>http://s-furusato.net/archive/2009/11/post_71.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">ウォーキング</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 18 Nov 2009 09:30:52 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>伊能忠敬が測量した同じ道を歩いた（上）</title>
         <description><![CDATA[<img alt="第8回ふるさと塾ガイドウォーク報告" src="http://s-furusato.net/archive/2009/11/17/091117sizusin.jpg" width="520" height="575" /><blockquote>静岡新聞11月17日朝刊に、第8回清水ふるさと塾ガイドウォークの様子が掲載された。写真は清水銀座の江尻宿寺尾本陣近く。</blockquote>

<img alt="091115inou-01.jpg" src="http://s-furusato.net/archive/2009/11/17/091115inou-01.jpg" width="520" height="390" /><blockquote>集合場所の「あっ朝市」会場から富士山がきれいに見えた。</blockquote>

11月15日に開催した第8回清水ふるさと塾ガイドウォーク「伊能忠敬が測量した同じ道を歩こう」は天候にも恵まれ、楽しい歴史探索となりました。

朝9時、ドリプラ大観覧車横で開催されている「あっ朝市」の櫻珈琲青テントに集合。伊能忠敬研究会の加藤忠三さんから、ウォーキングの最後に予定している「測量体験」の説明をして頂きました。この後、フェルケール博物館前からバスに乗り新清水へ向かいます。

<img alt="091115inou-02.jpg" src="http://s-furusato.net/archive/2009/11/17/091115inou-02.jpg" width="390" height="390" class="center" /><blockquote>江尻宿の様子を教えてくれる説明看板。江尻地区まちづくり推進委員会が設置している。</blockquote>

伊能忠敬は測量の様子を詳細に記した日誌を残しています。それによれば、文化2（1805)3月8日（現在の暦では4月8日）江尻宿の府中屋茂兵衛に泊っています。翌9日に丸子方面へ測量を続ける予定でしたが、紀州藩一行が街道を通るため「足止め」となり、予定を変更して巴川河口までの測量を行っています。

<img alt="091115inou-03.jpg" src="http://s-furusato.net/archive/2009/11/17/091115inou-03.jpg" width="390" height="420"  class="center" /><img alt="091115inou-04.jpg" src="http://s-furusato.net/archive/2009/11/17/091115inou-04.jpg" width="390" height="235"  class="center" /><img alt="091115inou-05.jpg" src="http://s-furusato.net/archive/2009/11/17/091115inou-05.jpg" width="390" height="390"  class="center" /><blockquote>江尻から稚児橋を渡り、入江の三叉路から久能街道へ入る。上清水の高札場で志みづ道に入らず、そのまま直進し、下清水八幡宮北側の「牛道」を通り、本町に向かう。</blockquote>
<img alt="091115inou-06.jpg" src="http://s-furusato.net/archive/2009/11/17/091115inou-06.jpg" width="390" height="390"  class="center" /><blockquote>次郎長生家前で、伊能の時代の絵図と現在の道路を比べながら説明。伊能が、この道を歩いた時代、次郎長はまだ生まれていなかった。</blockquote>

伊能の日誌では享和3年(1803)の第4次測量で、「清水湊にて中飯。宿忠右衛門」と記しています。江尻宿と違い、本町付近に「宿」は無かったので「忠右衛門」屋敷で昼食を食べたと思われます。「忠右衛門」は、伊能一行の案内役として、三保まで同行しています。

本町に軒を連ねた42軒の回船問屋のなかに、篠島屋忠右衛門という屋号はありますが、伊能が歩いた時代と重なってはいません。「忠右衛門」が誰だったのかは謎です。（つづく）]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">ウォーキング</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 17 Nov 2009 09:08:27 +0900</pubDate>
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