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伊能忠敬が測量した同じ道を歩いた(下)

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伊能が「清水巴川尻」と記録した測量地点は、現在の常念川河口水門の辺りになる。羽衣橋の向こうに伊豆の山々が見える。天城山の角度と方位を測定した伊能の測量記録が残されている。

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松井町公園での測量体験。この後、常念川河口に移動して、富士山や天城山の方位測量を体験した。

本町から美濃輪へ進み、美濃輪と松井町の境目で「松井新田」について説明した後、伊能忠敬研究会の加藤さんの指導で「測量体験」を行いました。

松井町公園に測量機器を設置し、50メートル先の目標(梵天)の角度を測ります。自分の歩幅を測り、目標までの歩数で距離を調べます。目視での測定ですから、計測する人によって誤差は異なることを実感しました。正確な測量を行うため、同じ場所を何度も計測する必要があったと思われます。現代のような舗装された道路があるはずもなく、当時の苦労が偲ばれます。

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伊能の時代、この辺りが巴川の河口だった。対岸の倉庫の横に富士山が少しだけ見えている。
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お茶の差し入れがあった。朝9時にスタートして約2時間半。温かいお茶の気配りが嬉しかった。

伊能忠敬が作成した「下図」は測量結果を図面に記したものです。この「下図」を現代の地図に重ねてみると、精度の高さに驚きます。同じ時代に描かれた「東海道分間絵図」は誇張された部分が多くありますが、美濃輪と松井町の境など、細かな部分で伊能の測量結果と同じ描きかたをしています。実測と、聞き取りによる作図という違いはありますが、どちらも優れた地図であることを再認識しました。

伊能忠敬の測量は当時の最高水準だったことは言うまでもありません。測量では、その土地の有力者を案内役に、器具などの運搬役に地元の人たち動員していました。伊能の測量を体験することで、その土地での測量技術は向上したといいます。

それは、伊能の高度な技術を学び取る受け皿が地元にあったからです。江戸後期には農機具の改良や新田開発が進み、農業の生産性が上がってきました。為政者にとって税の徴収を確実に行うために、田畑の面積を正しく測量することは欠かせない技術でした。伊能の測量は、全国的な測量技術の向上という基礎の上に行われた大事業でした。

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伊能が測量に使ったのと同じ型の「小方儀」。方角が数字ではなく干支で記されている。

伊能忠敬の測量記録を基に、当時と同じ道を歩いてみて、200年前と同じ道が残っていることに、改めて驚きました。道幅が広くなったりしていますが、下図で描かれた道が残っているのです。

なぜ、残っているのか。200年間の近代化のなかに、これらの道が取り残されたからだと推測します。明治に入り、清水湊は巴川両岸から、外海に面した波止場に移り、清水港となりました。現在、バス路線となっている幹線道路の多くは、昭和初期の都市計画道路です。志みづ道や久能街道は、港湾計画、都市計画から外れた場所にあり再開発の対象になっていません。それは、幸運だったと考えるべきでしょう。

まちづくりという言葉が、いろいろな場面で使われます。まちは自然に出来るものではなく、そこに暮らす人たちが創りだすものだという意味で理解しています。どんなまちを創るのか、それを知るためにも、まちの歴史を知る作業が欠かせないと思います。清水ふるさと塾のガイドウォークが、まちづくりの手助けになることを願っています。さて、次回はどこを歩きましょうか…。

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コメント

参加したかった~!
当日は夕方から翌朝まで仕事のため、朝市を早々に引き上げましたが。
ここのところ欠席が続いていますが、勤務表の休みと合った時には参加したいと思います。
ちなみに12/20は休みですのでヨモギを持って参加します。

今回の企画を支援するのに二つのことを柱にしました。まず資料と道具を当時のものを用意すること。資料は伊能忠敬日記、下図、山島方位記です。これらは総て伊能忠敬記念館に現存し、それらを提供していただき解釈を施し、使えるようにしました。道具である小方儀については伊能忠敬の使った同じ仕組みで明治23年に作られたものを、実際に使えるように友人の工場で一脚と三脚に付けるジョイントを作ってもらいました。
次にこれを実際に使って当時と同じように再現すること。現在の地図にコンピュータを使って下図からの測量線を重ねることまで私が行いました。しかしこれを使って清水ふるさと塾の皆さんが事前にそこを探索し、ガイドとしての資料を集めてくれました。その模様はホームページに紹介されていますが、大変熱心にまた楽しんでやっていただいたようです。
このような準備の上で200年前の測量線をたどること、終点で測量の方法を再現し、さらに測量した龍爪山、富士山、天城山などの方位を当時の測量器を使って測ってみることを体験していただきました。
参加した方が「伊能さんがここで測量をやったことに感動した」と言う感想を聞き今回の企画に参加させていただき「良かった」と実感しました。

参加しようともくろんでいましたが、用地の立会いが入ってだめでした。歩測についてですが、多分最初は紐ロープを使って測量していたと思います。でも、それだと効率が悪いので自分自身を精度の高い測量器にしたのでしょう。われわれの業界にもそういう人がいて、歩測の達人として日経コンストラクションに掲載されていました。小方儀と同じ構造のものは、今でも現場で使っています。手に持ったり、写真の三脚につけて使うクリノメーターで、スタジア測量も可能です。

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