伊能忠敬が測量した同じ道を歩いた(上)

静岡新聞11月17日朝刊に、第8回清水ふるさと塾ガイドウォークの様子が掲載された。写真は清水銀座の江尻宿寺尾本陣近く。

集合場所の「あっ朝市」会場から富士山がきれいに見えた。
11月15日に開催した第8回清水ふるさと塾ガイドウォーク「伊能忠敬が測量した同じ道を歩こう」は天候にも恵まれ、楽しい歴史探索となりました。
朝9時、ドリプラ大観覧車横で開催されている「あっ朝市」の櫻珈琲青テントに集合。伊能忠敬研究会の加藤忠三さんから、ウォーキングの最後に予定している「測量体験」の説明をして頂きました。この後、フェルケール博物館前からバスに乗り新清水へ向かいます。

江尻宿の様子を教えてくれる説明看板。江尻地区まちづくり推進委員会が設置している。
伊能忠敬は測量の様子を詳細に記した日誌を残しています。それによれば、文化2(1805)3月8日(現在の暦では4月8日)江尻宿の府中屋茂兵衛に泊っています。翌9日に丸子方面へ測量を続ける予定でしたが、紀州藩一行が街道を通るため「足止め」となり、予定を変更して巴川河口までの測量を行っています。



江尻から稚児橋を渡り、入江の三叉路から久能街道へ入る。上清水の高札場で志みづ道に入らず、そのまま直進し、下清水八幡宮北側の「牛道」を通り、本町に向かう。

次郎長生家前で、伊能の時代の絵図と現在の道路を比べながら説明。伊能が、この道を歩いた時代、次郎長はまだ生まれていなかった。
伊能の日誌では享和3年(1803)の第4次測量で、「清水湊にて中飯。宿忠右衛門」と記しています。江尻宿と違い、本町付近に「宿」は無かったので「忠右衛門」屋敷で昼食を食べたと思われます。「忠右衛門」は、伊能一行の案内役として、三保まで同行しています。
本町に軒を連ねた42軒の回船問屋のなかに、篠島屋忠右衛門という屋号はありますが、伊能が歩いた時代と重なってはいません。「忠右衛門」が誰だったのかは謎です。(つづく)
