第8回ふるさと塾ガイドウォーク案内(2)


先日、美濃輪稲荷神社の赤鳥居近くの宅地で下水道工事のため地面を掘った時、巴川護岸の石積みと思われる大きな石がたくさん出てきた。【写真上】
Yahoo写真地図に、赤丸で示した地点が石積みを確認した現場。次郎長通り商店街と巴川堤防との中間にある狭い道路沿いであることが判る。ここが、かつての巴川護岸だった。【写真下】

伊能忠敬が歩いたルート地図で見ると、石積みを確認した場所は、現在の赤鳥居前から巴川に向かって曲り、直ぐ南へ曲がった地点となる。【地図下】

伊能忠敬が歩いた時代、本町から美濃輪への道は、現在の赤鳥居までで、そこから先は松井新田となっていた。伊能忠敬は、「清水御米蔵」に向かうため、道なりに進んだのである。
たまたま見つかった地中の大きな石は、巴川護岸の石積み跡だと思われる。それを裏付けるものが「東海道分間延絵図」に描かれていた。

「東海道分間延絵図」は幕府が東海道の状況を把握するため作成した絵地図で、文化3年(1806)に完成している。伊能忠敬が清水を測量した時代と重なる。この画像は、江尻宿の部分で描かれている橋は稚児橋。巴川河口の場所が、現在と大きく異なっているのが判る。

「東海道分間延絵図」の美濃輪から常念川河口付近を拡大した。
伊能忠敬は「東海道分間延絵図」に描かれた道を歩き「清水御米蔵」へ向かった。そして、河岸から富士山、天城山、箱根の駒ヶ岳の山頂までの角度を計測している。
現在、常念川河口の水門がある場所は、正確な距離と位置を確定するための重要な測量ポイントだった。下水道工事で掘り出された大きな石は、伊能忠敬の足跡を現代に伝える遺跡のように思えてならない。(つづく)
