清水の映画史(7)

清水東高郷土研究部が1985年に発行した研究レポート「清水の映画」には見開きで広告のページがある。戸田書店、竹茗堂、山口楽器といった馴染み深い店が協賛広告を出している。
そのなかに、3マス分だけ戦前の色紙が縮小印刷されている。栄寿座の名前が書かれているものが2枚、場所が特定できない色紙が1枚ある。
場所が書かれていない色紙には、昭和17年3月17日東宝劇団の役者5人の名前が書かれている。たぶん、この色紙も栄寿座で書かれたものだろう。昭和17年3月といえば、真珠湾攻撃の4ヶ月後である。
その色紙の右下、日付の下に「山形勲」の名前があった。
テレビの水戸黄門をはじめ、時代劇の脇役としてお馴染みの俳優である。インターネットで調べてみると、東宝劇団を経て、1942年に山村聰らと劇団文化座を結成している。その後、200本近い映画に出演し、10年前の1996年に80歳で亡くなられた。
東宝劇団が栄寿座で色紙を書いた3ヶ月後、ミッドウェー海戦が戦われている。味噌醤油の配給制がすでに始まっていた。
そんな時代のなかで、栄寿座の舞台ではどんな演目が上演されたのだろうか。そして、舞台が終わり家路に向かう人たちはどんな気持ちで清水橋を見たのだろうか。
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一週間前に、ふとしたことから清水東高郷土研究部のレポートを再読した。聞き書きの面白さを伝えたいと思い、このサイトに掲載させて頂いた。高校生の力作に、何人もの方から感想がメールやコメントで寄せられた。たくさんの方が、自分や父母の記憶のなかに埋もれていた映画館の思い出が蘇ったような興奮を感じている。こんな気持ちを引き出してくれた郷土研の労作に、改めて感謝申し上げたい。

