舟運のまち

NHK朝の連ドラ「つばさ」は、埼玉県川越市が舞台になっている。「小江戸」と呼ばれた時代の町並みがドラマのなかに登場する。6月28日付毎日新聞で小学3年生の「川越てどんな町ですか」という質問に、専門編集委員の玉木研二氏が答えている。
それによれば、
山地に近い川越が商業中心の大きな町に発展したのは、江戸時代の初め川越藩主が沼の水を引き入れるなど工事をして、小さな新河岸川を改修し、荒川と合流させ、江戸の中心部へつなげた。川越には「周辺の農山村から米、麦、炭、石灰、木材などが集められ舟で江戸へ送られ、江戸からは油、塩、干し魚、肥料、紙、酒などが運び込まれた。この『舟運』(しゅううん)がさまざまな物を集めたり散らしたりして、売買や取引で多くの人が川越に集まりました。」
さらに、解説は続く
「ここでは協力やルールが重要です。たとえば、荷を預かり運ぶ仕事は、注文を正確に受け、約束通りのことをして『代金』をもらう『契約』でなりたちます。信用がなければ始らず、違反や裏切り、不正は不信を生み、仕事がうまく進みません。その『商道徳』の大切さを、『つばさ』に登場する菓子職人のお父さんのまじめさや、祖母のがんこさに見る感じがします。」

現在の川越は町全体を取り囲むようにいくつもの川が流れている。江戸時代に改修し、荒川に合流させた「新河岸川」は川越城跡の東側を流れる。そのまま南に下り、朝霞と和光の境で荒川に合流している。
川越城は長禄元年(1457)、関東を支配してた勢力の一つである扇谷上杉氏の命を受けた、家臣の太田道真・道灌親子が築いたという。同じ年、太田道灌は「江戸城」も築いている。
太田道灌が築いた「江戸城」の正確な位置を示す文献は残っていないという。「城の東畔に河あり。その流れ曲折して南の方海に入る」(『寄題江戸城静勝軒誌序』の意訳・)という文書から港(江戸湊)に隣接した場所だったことが判る。
鎌倉時代から室町時代の関東は、鎌倉が中心都市だった。江戸は鎌倉と関東以北、上総、下総(千葉県から茨城県)に通じる交通の要所として、さらに荒川を通じて川越につながる重要拠点として城が造られ、湊が整備された。物流は富を産み出すが、軍事的、政治的支配が安定していないと荷役のルールが成立しない。『商道徳』は治安が安定し、人々が生き生きと働く場所で成り立つ対人関係だ。

幕府直轄地を「天領」と習い、今でも普通に使っているが、「天領」は明治時代になり旧幕府直轄地が天皇の領地になったことから付けられた名称で、江戸時代には誰も使ってはいなかった。
江戸時代、清水湊での交易は徳川幕府から特権を与えられた42軒の回船問屋が独占した。新規参入を拒む特権は、幕府直轄と同じ意味合いを持っていた。東海道と甲州、信州に続く甲州道(身延道)の結節点としての清水湊は、江戸湊が関東で果たしていた役割と似ている。
上方からの荷物が清水湊を経由して江戸まで運ばれた。そして荒川を上り川越に至る。中世に始った「舟運」のルート辿ってみると、新しい発見がありそうだ。

コメント
たしかに!
ルールがあってこそ、スムーズに物事が運ぶんですもんね。
大人がこどもの手本になるように、ぼくもがんばります!
komai | 2009年07月02日
私の叔母の家は、太田道灌の屋敷跡に建てられているそうです。川越市役所から2~300メートルほど離れた場所で、志多町という所です。学者さんが書いた本にも載っているそうです。
雪乃 静 | 2009年07月02日