≪ 6月15日「くの字」の土地を調査 | 清水ふるさと塾 | 藤枝の「くの字」土地 ≫


入江町「くの字」土地を調査

入江町「くの字」土地を調査

6月15日、清水ふるさと塾のメンバー4名が、入江商店街の「くの字」土地を道路南側2ヶ所と、北側1ヶ所で測量調査を行なった。下図は商店街南側の駐車場と隣接した袋小路の実測図である。

斜めに点線で描いた四角が、宿場での家屋の想定図である。現在の「くの字」となっている奥の部分の斜めを延長した四角である。街道に対して斜めに家屋が造られているため、入口側に生まれた三角形の土地の部分を着色した。
入江町「くの字」土地を調査

pdf.gif入江商店街3ヶ所の「くの字」実測図(12KB)

現在の道路幅は10.0mだった。「わが郷土清水」には、江戸時代の江尻宿の道幅を約3間と書かれている。実測図では細かい点線で「旧道路幅」3間=5.46mを示している。実線で示した現在の道路幅より、1.755m内側になる。(この数字はあくまで推測である)

旧道路の道幅部分まで家屋が斜めに出ていたと考えると、三角形の奥行きは1.15mになる。この奥行きが「万一に備えての警備のため」に作られていたと「わが郷土清水」は説明している。


測量をしているとき、地元の人から「くの字」の理由について二つの説を教えてもらった。一つは防火のため、もうひとつは方角だった。確かに昔の家屋の向きを推測すると入口が真北を向いている。どちらの説も、細かなことは判らないが、単に軍事的目的だけでない、様々な理由があったのかもしれない。また、諸説を立てることで、敵の襲撃という不安を緩和していたのかもしれない。いろいろな人の話を聞いてみたいと思う。

千住宿の復元模型

「ビジュアルワイド図説日本史(東京書籍)」145ページより。
日光街道最初の宿場である千住宿は奥州各地と江戸や他の街道との商品流通の中継基地として栄え2.5kmも続く町並みには旅籠屋をはじめさまざまな店が軒をつらねていたという。

上の写真は、足立区立郷土博物館に展示されている「千住宿」の復元模型である。

旅籠屋や茶屋が街道に対して斜めに建てられている。奥州から、江戸に入る最後の宿場町である千住宿は軍事的にも重要な場所だったはずだ。千住宿が、江尻宿のように街道を直線ではなく、クランク状に角度をつけていたならば、「万一に備えての」まちづくりが広範囲に行なわれていたことになる。実際はどうだったのだろうか。調べてみたいと思う。

調べるたびに、新しい宿題が増える。そして、宿題が増える度に気分が高揚する。不思議な楽しさである。

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コメント

ふるさと塾のメンバーが調べたなかでは、藤枝市にも入江と同じような「くの字」土地がありました。県内全部を調べてはいないのですが、興津から由比、蒲原にかけては「くの字」は見あたりませんでした。江尻本陣があった清水銀座でも見あたりません。区画整理で消えたのか、初めから直角だったのか、これは「宿題」です。

三重県の松坂には「くの字」ではなく、昔のまま斜めに建っている家屋が残っています。

「斜交屋敷」をキーワードに検索すると、いろいな宿場の写真を見ることができます。(「はすかい」で漢字変換すると「斜交い」がでます)

街道に対して斜めに建物が建っていたのは初めてききました。県内の他の宿場もそうだったのでしょうか?宿題が解けたら随時発表して下さい。

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